好きと周期のこと
お元気ですか?
私の好きな季節は春と秋です。春と秋を返してください。
さて。
インターネット内外を彷徨していて、最近よく思うことがあります。それは「コンテンツが一周した」という感覚。
今回はそんなコンテンツの流転と、周波数成分に関する考察です。
帰ってくる
最近のアニメや映画、ドラマを見ていると「あのときのキャラクターが、あのときのキャストのまま帰ってくる!」というような胸アツ展開をよく見ます。
海外の映画で言えば、蜘蛛のヒーローだったり、海軍のパイロットだったり、恐竜の博士だったり。日本のドラマで言えば、二人組の刑事だったり。
こういう展開、嫌いな人はいないでしょう。それくらい滾るものがありますし、私だって好きです。
ちなみに私が好きなボカロという領域でも、それは散見されます。かつて大流行したあの曲がリメイク、みたいな。嬉しいことこの上ないですよね。
上述のとおり、かつてのキャラクターやモノが帰ってくるのは絶対的に面白いことでしょう。もはや定番とか王道なんかにカテゴライズできるかもしれません。
でもやっぱり、最近多くないですか?多い気がするんです、最近はとくに。
あまりにも突然ですが、フーリエ変換の話をしましょう。
フーリエ変換とは、ざっくり言えば適当な関数をサインとコサインの重ね合わせによって表すことです。言い換えると、適当な関数はサインとコサインだけで表すことができるという話。つまりな適当な関数の周波数という側面から見ることができるようになるのです。
なにが言いたいのか、それは「周波数に注目しろ」ということ。サインにもコサインにも、周期(あるいは逆数をとれば周波数)があります。
この周期が今回のキーワード。
コンテンツの周波数
結論から言うと、私が思うのは「流行というのは無数のコンテンツがもつ周波数からなる」ということです。
この世にはさまざまなコンテンツが存在していますが、それらにはまた栄枯盛衰というものがあるでしょう。今はこれが熱いとか、次はこれが来るだとか。
なかなか予測不能なこの現象を、人は流行と呼びました。
流行る/流行らないというこの状態は、時間とともに変化します。すなわち流行というのは時間を引数とする関数だと考えられるでしょう。
流行が関数ならば、フーリエ変換によってサインとコサインの重ね合わせで表せるはずです。これを有象無象のコンテンツに当てはめれば、コンテンツは周波数をもつということが言えますよね。
歪な世の流行は、周期的なコンテンツ群に分解できることを話しました。ここで最初の話に戻りましょう。
私が思うのは「あのキャラクターが帰ってくる!」という展開が多いということでした。そしてこの展開というのも、流行を形成する周期をもったコンテンツの一員。
あるキャラクターが「帰ってくる」ためには、時間的な幅が必要となりますよね。この時間というのがまさに周期なのではないでしょうか。いわばキャラクターが帰ってくる展開は、コンテンツの中でも周波数が明示的な例ということになります。周期あるいは周波数が明示的ならば、分析も容易。
私が覚えた不思議な感覚の正体、それはずばり周期の包含なのです。私という存在がこの世に触れて早何年、私の目が届く時間にその周期が収まったということ。始まりから終わりまでの1ループを、ついに見渡せるように。
裏を返せば、そういったコンテンツはなにも最近になって増えたわけではないのでしょう。たまたま対象のコンテンツが私の視界に収まっただけで、流行という信号はただ流れ続けているだけでした。
変わったのは周りでなく、私だったのです。
それではまた次回。