あいであのーと

それは備忘録の類い

想像と解像のこと

こんばんは、夏ですよ。



最近、動画という媒体が社会を跋扈していますよね。なんとかチューブとか、なんとかフリックスとか。もはや動画として提供されなくてよいものまで動画として提供されている場合もあるでしょう。気軽に知りたい情報とか、のんびりと読みたい記事とか。

実際、私も動画という媒体の虜であることは事実です。私の日常に生じた隙間には、ニコニコ動画がいっぱいに詰め込まれています。たまに静画や生放送も混ざっていますが。

今回はその動画をふまえて、最近の作品に思ったことを一つ。キーワードは想像力解像度



近年は4Kや8K、UHDという言葉をよく耳にしませんか?

UHDはUltra HDのことで、もっと言えばUltra High Definitionの略だそうです。つまりは超高解像度みたいなやつです。4Kや8Kは画素数のことを言っていて、水平方向に4,000画素や8,000画素くらいあるよ、ということみたいです。
ちなみに私はあまりこの辺に詳しくありません。ちょっと詳しい友人に訊いてきます。



これでもかと動画が普及するにつれて、解像度の高まりも止まるところを知りません。自然の景色や映画の迫力、スポーツの中継を鮮明に味わいたいということでしょう。

それと低解像の画像や動画を高解像にする、超解像という技術もあるみたいです。人間は強欲ですね。

みなさんはこれ、どう思いますか?

かい‐ぞう〔‐ザウ〕【解像】 の解説
レンズを通して像を細部まで写し出すこと。



私はボカロが好きで、いわゆるボカロPVも好きです。自ら作ってしまうほどには、ボカロPVのような作品に目がありません。

最近の動画を見ていると、解像度の高さに驚かされます。ここで言う解像度は、べつに画素数にかぎった話ではありません。時間的な解像度、ましてや投稿間隔的なものも含みます。もしかしたら周波数と言った方が適切かもしれません。

最近の動画は本当に緻密で、まさに高精細といったところでしょう。



空間的な解像度としては、なによりも画素数です。HDやFHDの動画はもはやもちろんのこと、4Kの作品すら目にすることがあるのではないでしょうか。説明不要!!

あとは文字の大きさですね。最近の動画は文字の小さいこと小さいこと・・・。スマートフォンから見たら、なにも見えませんよ。文字は大きければ大きいほど恰好良いと思っている私からすると、これは少し意に反した風潮です。

時間的な解像度について言えば、それはフレームのことです。今やフレーム単位で動くオブジェクトやエフェクトなどは、もはやざらです。フレームレートも高いものが増えてきて、やたらとぬるぬる動きますよね。これはいわば「イントラ動画」の話です。

そういった高精細な動画たちが、恐るべき頻度で世に放たれていることも事実です。昨今のコンテンツは賞味期限が本当に早くて、もったいないとすら感じられます。それくらいには供給の周期が短くて、目まぐるしいです。先の「イントラ動画」に対して、これは「インター動画」の問題と言えるでしょう。



スペーシャルだったりテンポラルだったり、イントラだったりインターだったり。とにかく昨今の動画は超高解像度なのです。

ここまでする必要、あります?



解像度の低い画像や動画に対して、不満を口にする人を見かけます。「これは画質が悪いよね」、「もっと画質が良ければなあ」。もしかしたら最近はもっと増えているかもしれません。

私にはそういった声が、私たちの過去を否定しているように聞こえてしまうのです。ほんの十年くらい前、私たちは360pや480pくらいの動画を存分に満喫していたはずです。技術の動画なら細部は見えず、旅の動画なら看板は読めず、ゲームの動画なら敵はわからず。ボカロPVだって文字は大きく、フレームレートは低く、動きは今よりも粗く。それなのに、世界は無限に広がっていませんでしたか?

技術あるいは人間がつねに前へ進み続けること、それは実にすばらしいことです。技術の進歩があったからこそインターネットは存在し、私はこうしてブログを書くことができているのですから。しかし、過ぎたるは猶及ばざるが如しとも言います。ちょっとスピードを出しすぎではないでしょうか。



私たちは想像力をもっていますから、いわば想像力がフレーム補間の役割を果たすのです。想像力と解像度は表裏一体とも言えるかもしれませんね。

解像度が高ければ高いほど、私たちの想像しうる余地は狭くなります。解釈や余韻の自由度が下がってしまうのです。また解像度が高ければ高いほど、不自然さや違和感といった類はより目立つでしょう。普遍性という観点からも、どこか不鮮明な方が広く需要にマッチするかもしれません。

解像度が低いということは、なにも悪いことばかりでないと思うのです。

そう‐ぞう〔サウザウ〕【想像】 の解説
実際には経験していない事柄などを推し量ること。また、現実には存在しない事柄を心の中に思い描くこと。



みなさんもどうか法定速度を守って、安全運転を心掛けてくださいね。

ではまた次回、バイバイ。