あいであのーと

それは備忘録の類い

自給と普及のこと

テキストではお久しぶりですね。ニコニコのユーザーブロマガがサービスを終了してしまい、へそを曲げていました。

たまには文章を書きたくなるもので、早速書きますね。

 

 

 

突然ですが、みなさんはイラストを描いたり動画を作ったりすることがありますか?インターネットという大海原で私のブログに辿り着いたあなたは、描いたり作ったりしている可能性が高いかもしれませんね。

私はといえば、イラストは描くし動画も作ります。それではそれはなぜですか?回答は簡単で、ずばり「無いから」でした。

 

今回はコンテンツの普及と、それに対する自給の話。

 

 

まず私がイラストを描いたり動画を作ったりするのは、私が望んだそれらが存在しないからだと思っています。インターネットを触媒に膨張したコンテンツの山を前に、わざわざ自ずからコンテンツを生み出す必要があるのは、やはりその山に望んだものが含まれないからでしょう。

元来モノ作りは好きでしたし、私の嗜好が少し偏っていることもあり、無いんだったら自分で作ればいいのよ!の声に従って、今の私はここにいます。

 

無いなら作れの精神に関して、動画のそれは顕著でした。イラストに比べて、動画というフィールドが今よりもマイナーだったからです。

ここで言う動画とは、いわゆるボカロPVのような作品のこと。もしかしたらこのことは、プレイ動画や実況動画にも言えるかもしれませんが。閑話休題

 

私がボカロPVと呼ばれるものに心を奪われたとき、まだその数というのは決して多くありませんでした。それこそ動画という媒体が今ほど蔓延しておらず、画質だって悪かったはずです。

数が少ないということはつまり、私が望んだものも必然的に少なくなるでしょう。心を奪われる動画も少なからずありましたが、相対的に言えば今よりも圧倒的に少ないです。

無いなら作っちゃえ。そうやって学び、育ってきました。それが今の私。

 

 

 

今や動画師というものは、著しい脚光を浴びています。動画という媒体の普及によって動画師の需要は高まり続け、いよいよ動画師に焦点を当てたイベントさえもが開催されつつあります。

つまりはたくさんの人が動画を作り、たくさんの動画が生まれるということです。これは良いこと?

 

実際、私の好みに高い精度で一致するような動画師さんも増えています。感動や恐怖を覚える動画の数は、かつてよりも明らかに多く感じます。するとそこに私が入るべき余白など残されているのだろうか、と考えてしまうわけです。

つまりは「わざわざ私が動画を作る必要はあるのか」という問い。自ら作らなくたって、望んだものが勝手に生産されるのだから。確率論ではありますが、今はそういう世の中なので。無いから作っていたはずが、もはや「無い」ということが無くなりつつあるのです。

 

難解な問いですよね。最近はこのことばかりが頭の中を回ります。

 

 

 

逆に考えてみましょう。イラストというフィールドは動画のそれに比べて広い(動画のフィールドは狭い)と先の私は言いました。フィールドが広いということは、コンテンツの数も多くなり、私の望んだものが現れる確率も高くなるはずです。

ではなぜ、私はいまだイラストを描き続けているのでしょうか。イラストこそ、私の好みに完全一致するものなど山のようにあるのではないでしょうか。それなのになぜ私は。

 

 

 

もしかしたら、これはトレードオフの問題なのかもしれません。探すのは大変だから作った方が早い、そういった見方ができるかもしれません。ボカロPVを初めとする動画のコンテンツがインターネットの大気中を飽和するのも、時間の問題でしょうからね。

 

それに自分の嗜好と完全一致(Exact Match)するコンテンツを生み出せるのは、他でもない自分ただ一人だと思うのです。インターネットという大宇宙のコンテンツという星々から、私たちの究極を探し出すのは至難の業、ましてや不可能というべきかもしれません。

あなたともっとも長く付き合ってきた人物というのは、当然あなたでしょう。これはあなたにしかできないことなのです。

 

 

 

そんなわけで、私はこれからもイラストを描いたり動画を作ったりしていくと思います。応援ヨロシク。