あいであのーと

それは備忘録の類い

消費と賞味のこと

みなさんこんばんは。

 

みなさんは日々、コンテンツを消費していますか?

意識していなくとも、きっとしていることでしょう。音楽を聴いたり、動画を見たり、本を読んだり、ゲームで遊んだり――。

 

生活の一部をなすコンテンツの消費という行為ですが、最近そのことをよく考えてしまいます。

今日は消費という行為についての考察。

 

 

結論から言ってしまえば、最近はコンテンツの賞味期限が短すぎると、私は思うのです。

 

ここ数十年、インターネットなる媒体が急速に発展し、だれだってさまざまな情報が手に入るようになりました。手が届く範囲はもはや計り知れず、見える範囲はほぼ無限でしょう。悪く言えば、今やコンテンツは飽和しています。

情報社会を背景に、コンテンツを処理する人間にも変化が起こっている気がします。

 

 

 

今ではドラマやアニメを倍速で見るという話を耳にします。私はアニメのOPやEDをぜったいに飛ばさない人なので、倍速による視聴にも少なからぬ抵抗を抱いてしまいます。

一方で、私はなにかをしながら動画を見ることが多いです。一見まったくべつの問題に見えるかもしれませんが、これらは本質的に同じでしょう。要するに、倍速視聴もながら見も消費速度を上げることなのです。

 

コンテンツの生産と消費を制御していた人間ですが、もはやコンテンツに支配されつつありませんか?

 

 

この加速する消費を、私は「賞味期限が短くなった」と考えています。ここではあえて消費期限ではなく、賞味期限と言わせてください。

 

情報の可用性が向上し、技術の習得が効率化されること、あるいは個人の活動場所も細分化され、埋もれていた成果も日の目を浴びやすくなったことから、消費すべきコンテンツはますます増えています。見方を変えれば、あるコンテンツが注目される機関というのは、ますます短くなっているということです。

昔と比べて、意見や感想をだれかと交換したり共有したりしやすくなりました。一方おかげで、それをする時間というのは少なくなりました。コンテンツの回転率が上がったということです。

 

これはあくまでも最大限コンテンツを楽しめる期間が短くなっただけで、それらがすぐダメになってしまうというわけでは決してありません。先述のとおり、むしろコンテンツそれ自体の品質というのは向上しているように思えます。そういった意味で、私は賞味期限と言いたいのです。

 

 

たとえば今まさに放送中のアニメでは、なんとEDが週替わりで用意されています。そのどれもが十二分なクオリティで、毎週心を奪われるばかりです。まさにアニメの悪魔。

 

この週替わりEDには、まさに昨今の消費が顕現していませんか?今回このことを記事にしたのも、それが発端でした。人間はとめどなく提供されるコンテンツ群に慣れてしまい、従来の消費速度では満足できなくなってしまったのです。

 

 

消費者の目線から見るこの現状は、嬉しくてたまらないでしょう。高品質なコンテンツが高頻度で現れるのですから。しかし、生産者の目線からはまた違って見えてくると思います。

私も動画を作る生産者の一人として、いろいろ思うことがあります。

 

思うことのすべてはきっとこの記事に収まらないので、またあらためて書きたいところですが、一言で言えば私はこの速度についていけません。

じっくりと時間をかけ、隙がない作品を作るのが好きな私にとって、近頃のこの回転率には苦しいものがあります。早く次の作品を作らなければ、楽しみにしてくれている人を飽きさせてしまう。急がなければ、置いていかれてしまう。そういった焦燥感が、私の創作活動をダメにしています。最近ずっとそうです。

 

 

昨今のインターネットは、その利便性からプロフェッショナルのハードルを下げましたが、同時にアマチュアのハードルを上げたのでした。

 

 

以上、最近の頭の中でした。現実がめっぽう忙しく、なかなか創作に時間をさけない日々が続く中、どうしても考えてしまいます。手はなかなか動かせず、動くのは頭ばかり。

 

いわば娯楽のSDGsということで、みなさんも少し気にしてみてくださいね。では。