微分と自分のこと
こんばんは。いかがお過ごしでしょうか。
みなさんは微分したことがありますか?たとえばここからあそこまで何分で着くからそれは分速何分だ、みたいな計算は微分みたいなものです。
関数の微分はざっくりと、そこの傾きが右から見ても左から見ても同じとき可能です。またそこで微分ができれば、関数はそこで連続です。それはさておき。
今回は微分や連続をキーワードに、昨今のデジタル社会を見ていきます。
ここ十数年から数十年、社会のデジタル化が顕著です。今や電車やバスに乗れば、みながみな手元のスマートフォンとにらめっこしています。かく言う私もその一人でしょう。
それに私がこうして記事をしたためていることも、デジタル社会の恩恵です。社会のデジタル化は、人々の創作も豊かにしてきました。
デジタルデジタルと言っていますが、そもそもデジタルという単語の意味をご存知でしょうか。
連続的な量を、段階的に区切って数字で表すこと。計器の測定値やコンピューターの計算結果を、数字で表示すること。数字表示。
時計の例が直感的でしょう。長針と短針が滑らかに回り続けるアナログ時計に対して、デジタル時計では時刻を表す数字がピッピッと変わります。
このように、アナログとデジタルはそれぞれ連続と離散というイメージがあります。
PCやスマートフォンの普及によって、だれもがデジタルになりました。スマホで撮った写真やタブレットでとったノート、パソコンで打った文書。そのどれもがデジタルの賜物です。
画像やテキストは0と1にエンコードされ、通信されたり保存されたりします。
デジタルの恩恵は、クリエイティブなところにもあります。デジタルが世界を便利にしたことで、今は誰だってクリエイターになることが可能です。
思い浮かんだことをすぐ形にできるこの時代に、私は思うことがあります。一言で言えば、それは「もはや私が入る隙間がない」という嘆きです。
私がクリエイティブになった動機に、望むものがないからという考えがありました。
それに対して、昨今のインターネットにはありとあらゆるモノが存在しています。それらの粒度は凄まじく、探しさえすればそのほぼすべてが見つかるでしょう。
これは言わば「離散だったモノらが連続になった」と考えられませんか?つまり滑らかになった*1ということです。
モノとモノの隙間はますます埋まり、その表面はますます滑らかになっていきます。この作品とあの作品の良いところを併せたような、そんな作品に出会ったことはありませんか?それは作品同士の補完にほかなりません。
社会のデジタル化によってむしろ、作品はアナログ化したというアイロニー。
インターネットの大海原で、作品やそれらのクリエイターは飽和しつつあります。そんな中、人々に注目されるような作品を新たに生み出すためにまず思いつくのが、フロンティアの開拓です。さながら虱潰し。
こうして私たちの入る隙間は埋まっていき、世界は滑らかになるのです。
この微分可能なクリエイティブ社会でどうか、自分の価値を見失わないでください。ではまた。
参考
参考になりそうな記事:関数の連続性と微分可能性の意味と関係 | 高校数学の美しい物語。