アンチと絶対値のこと
みなさん、こんばんは。
みなさんには"好きなもの"がありますか?それは好きな食べ物だったり、好きな本だったり、好きな映画だったり。私にはあります。
言わずもがな私はボカロを聴くのが好きですし、そのPVを見るのも好きです。私が絵を描いたり動画を作ったりするのも、当然好きだからです。他にもMAD動画や実況動画など、好きなものを挙げ始めたらキリがないかもしれません。
もし好きなものがないという方がいれば、ぜひ探してみませんか?一つでも好きなものがあるだけで、人生は変わってくるような気がします。
一方で、みなさんには"嫌いなもの"がありますか?こちらはなかなか答えにくい質問かもしれません。
今回はそんな"嫌うこと"についての話です。
過剰なまでに発展する昨今の情報社会は、人々の視界を広げ続けています。
とても見晴らしがよくなった世界で、人々にはさまざまな意見が届くようになりました。しかしそれらは決して嬉しいものばかりではありません。匿名という二文字を盾に、罵詈雑言を撒き散らしてはカタルシスを手にするような人々もいると聞きます。そしてそのような声を真に受け、未来を断念してしまう人々もいるようです。
さて。攻撃の対象が崖から未来を投げたとき、攻撃者たちは喜ぶのでしょうか。つまり変な言い方をすれば、それはアンチにとっての"成功"なのでしょうか。
ここでエネルギーという発想を導入してみましょう。
今回の話題に対して、今から運動エネルギーのアナロジーを考えてみます。
速度vで運動する質量mの物体について、運動エネルギーKは次として表されるとのことです。
注目すべきはvの肩にある2です。運動エネルギーは速度の二乗に比例するわけですが、これはつまり向きが関係ないということを意味します。前に進んでいても後ろに退いていても、質量と速度の絶対値が等しければ運動エネルギーは同じなのです。これが今回のポイント。
ちなみにこれはたとえば弾性エネルギーに関しても同じことが言えます。バネは縮めるにしても伸ばすにしても、その程度が大きいほどより多くのエネルギーをもつからです。
それでは話をもとのところに戻しましょう。
好くという行為が正の向きをもつとすれば、嫌う行為は負の向きとなるはずです。いわばポジティブとネガティブです。これらの行為を変位や速度に当てはめれば、先のような議論が可能となるはずです。
つまり言いたかったことは、"嫌うという行為が好く行為と同等なエネルギーを持ちうる"ということでした。それは"炎上商法"という言葉が存在することからも見てとれるでしょう。
戦争すらも懸念される情報という戦場で、武器となるのは当然ながら情報に相違ありません。そしてアンチたちのもたらす情報もまた情報であり、それは相手の武器になりうるわけです。
たとえばあなたがインターネットなどを漂う誰かのことを嫌ったとしましょう。あなたがその事実を周囲に発信したとき、あなたはその誰かの"情報"を周囲に提供したことになります。すなわちあなたのその"嫌い"がエネルギーとなって周囲に伝導するのです。もしかするとあなたの発信をもとに、あなたの周囲もあなたと同じくその誰かを嫌うかもしれません。その場合はあなたの与えたエネルギーが負の向きに仕事をしたことになります。あるいは周囲がその誰かに興味を抱き、いずれファンとなりその誰かの救いとなるかもしれません。エネルギーが正の向きに仕事をした場合に起こる事態です。
このような場合分けが考えられるのは、エネルギーが方向を考慮しないことに由来するような気がするのです。とくに後者の発生というのはあなたにとって不本意なものではないですか?あなたはその誰かを嫌いなのに、それがエネルギーであるばかりに。
嫌いなものに対して取るべき一つの行動はずばり"無視"を決め込むことではないでしょうか。"好きの反対派は嫌いでなく無関心"という言葉がありますが、きっと昨今の社会で必要なことの一つはこれです。人々から無視されたそれというのはエネルギーを持つことができないわけですから。繰り返しになりますが、昨今の社会で武器となるのは紛れもなく情報です。
触らぬ神に祟りなしとも言いますしね。
そんなわけで、みなさんも情報は上手に扱っていきましょ。
ではまた。
みなさんには"好きなもの"がありますか?それは好きな食べ物だったり、好きな本だったり、好きな映画だったり。私にはあります。
言わずもがな私はボカロを聴くのが好きですし、そのPVを見るのも好きです。私が絵を描いたり動画を作ったりするのも、当然好きだからです。他にもMAD動画や実況動画など、好きなものを挙げ始めたらキリがないかもしれません。
もし好きなものがないという方がいれば、ぜひ探してみませんか?一つでも好きなものがあるだけで、人生は変わってくるような気がします。
一方で、みなさんには"嫌いなもの"がありますか?こちらはなかなか答えにくい質問かもしれません。
今回はそんな"嫌うこと"についての話です。
過剰なまでに発展する昨今の情報社会は、人々の視界を広げ続けています。
とても見晴らしがよくなった世界で、人々にはさまざまな意見が届くようになりました。しかしそれらは決して嬉しいものばかりではありません。匿名という二文字を盾に、罵詈雑言を撒き散らしてはカタルシスを手にするような人々もいると聞きます。そしてそのような声を真に受け、未来を断念してしまう人々もいるようです。
さて。攻撃の対象が崖から未来を投げたとき、攻撃者たちは喜ぶのでしょうか。つまり変な言い方をすれば、それはアンチにとっての"成功"なのでしょうか。
ここでエネルギーという発想を導入してみましょう。
仕事をすることのできる能力のことを指す。物体や系が持っている仕事をする能力の総称。
今回の話題に対して、今から運動エネルギーのアナロジーを考えてみます。
速度vで運動する質量mの物体について、運動エネルギーKは次として表されるとのことです。
注目すべきはvの肩にある2です。運動エネルギーは速度の二乗に比例するわけですが、これはつまり向きが関係ないということを意味します。前に進んでいても後ろに退いていても、質量と速度の絶対値が等しければ運動エネルギーは同じなのです。これが今回のポイント。
ちなみにこれはたとえば弾性エネルギーに関しても同じことが言えます。バネは縮めるにしても伸ばすにしても、その程度が大きいほどより多くのエネルギーをもつからです。
それでは話をもとのところに戻しましょう。
好くという行為が正の向きをもつとすれば、嫌う行為は負の向きとなるはずです。いわばポジティブとネガティブです。これらの行為を変位や速度に当てはめれば、先のような議論が可能となるはずです。
つまり言いたかったことは、"嫌うという行為が好く行為と同等なエネルギーを持ちうる"ということでした。それは"炎上商法"という言葉が存在することからも見てとれるでしょう。
戦争すらも懸念される情報という戦場で、武器となるのは当然ながら情報に相違ありません。そしてアンチたちのもたらす情報もまた情報であり、それは相手の武器になりうるわけです。
たとえばあなたがインターネットなどを漂う誰かのことを嫌ったとしましょう。あなたがその事実を周囲に発信したとき、あなたはその誰かの"情報"を周囲に提供したことになります。すなわちあなたのその"嫌い"がエネルギーとなって周囲に伝導するのです。もしかするとあなたの発信をもとに、あなたの周囲もあなたと同じくその誰かを嫌うかもしれません。その場合はあなたの与えたエネルギーが負の向きに仕事をしたことになります。あるいは周囲がその誰かに興味を抱き、いずれファンとなりその誰かの救いとなるかもしれません。エネルギーが正の向きに仕事をした場合に起こる事態です。
このような場合分けが考えられるのは、エネルギーが方向を考慮しないことに由来するような気がするのです。とくに後者の発生というのはあなたにとって不本意なものではないですか?あなたはその誰かを嫌いなのに、それがエネルギーであるばかりに。
嫌いなものに対して取るべき一つの行動はずばり"無視"を決め込むことではないでしょうか。"好きの反対派は嫌いでなく無関心"という言葉がありますが、きっと昨今の社会で必要なことの一つはこれです。人々から無視されたそれというのはエネルギーを持つことができないわけですから。繰り返しになりますが、昨今の社会で武器となるのは紛れもなく情報です。
触らぬ神に祟りなしとも言いますしね。
そんなわけで、みなさんも情報は上手に扱っていきましょ。
ではまた。